【 モラルと倫理観とマナー観 について 】
ここでは、モラルと倫理観とマナー観について述べる。
倫理観は、各人によって異なるが
モラル(≒道徳観)は普遍性を持たねばならない。
モラルは、各環境に於いて各人の倫理観を形成し、
それがマナー意識(マナー観)の源泉となる。
それは、倫理問題(例えば、トロリー問題)には
❝正解というものは存在しない❞ ことからも導出される。
(モラルと倫理(観)を同一視する学者も存在するが・・・)
モラルは全世界の人類が共有し得る、
いわば正義感のようなものでもある。
つまり ❝モラルは普遍性を持つ(べき)もの❞ なのである。
普遍性を持たない観念をモラルとは言わない。
言葉として ❝あの人はモラルが無い❞ という表現は
『普遍的な善悪の観念に欠如している』ことを意味する。
ここで、混迷を極めるのは
❝何が悪であり、何が善であるのか❞ という
いわば『善悪の基準』なのであるが、
この命題には多くの哲学者が論を展開している。
カントの『人倫の形而上学の基礎付け』に見られる
広義の「厳格主義(Rigorism)」的な道徳(定言命法)、
ニーチェの『善悪の彼岸/道徳の系譜』に見られる
いわゆる奴隷道徳などを始めとして・・・
しかし、そのような哲学的解釈に拠らずに平易に考えると
『善悪の基準』とは、刑法に規定されるような言動、
即ち、殺人・泥棒・詐欺などの言動を ❝悪❞ と
認識しえる基準的な観念、と換言出来るのである。
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ならば、喫煙という行為を、
禁止されていないエリアで行う事は
決して ❝モラルが無い❞ とは表現できないのである
敢えて嫌煙諸氏の立場から言うならば、喫煙は
ミル(J.S.Mill)が、その著『自由論』で展開した ❝愚行権❞ に該当し、
『単なる迷惑行為』と評せられるかもしれない。
然しながら、忘れてならないのは ❝迷惑❞ とは
❝各人によって差のある感覚❞ という事なのである。
拠って、その感覚は、❝モラル❞ の範疇には非ず
倫理(または、その延長線上に位置するマナー)の
領域の感覚であり、故に❝モラルが無い❞ とは
決して評し得ないのである。
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オラッちは、このように考えます
では、では。
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