【 WHOと戦った日本人:根路銘 国昭 氏 】
根路銘 国昭 (ねろめ くにあき) 氏と言うと
一般の方には、珍しく聞こえるかもしれないが
沖縄/鹿児島県地方では「根路銘」姓は、多数おられるとの由。

氏はウィルス学の権威であり、
「WHO と戦った日本人」としても知られている。
2017/5/30現在、ご存命であられる。
ここでは、氏のエピソードを「まとめ」風に引用してみる。
「完全なる信頼性」という意味においては引用元は不十分かもしれないが、
それでも、氏の「人となり」を窺わせるには十分なものであろう。
◆ No.1
〖 WHO多国籍製薬会社を向こうに、ワクチン問題で大立ち回り。
孤軍奮闘、日本人を守った沖縄人ウイルス学の権威・根路銘国昭 〗
( 出典:阿修羅♪ という 2ch の様なサイト )
週刊ポスト最新号(3・19)で
世界的ウイルス学者である根路銘国昭(生物資源利用研究所長)が山根真一と対談しているが
非常に興味深い(「メタルカラーの時代」)。
彼のバックグラウンドに注目。
沖縄生まれで北大獣医学部出身、1966年国立感染症研究所所属。
そして留学経験ゼロ。それでいて、ウイルス学では最高水準をきわめた人物だ。
出自からして日本にとっても世界にとってもパワーエリート側の人間ではない。
93年にWHOの(アジア太平洋地域)インフルエンザ呼吸器ウイルス協力センター長に
着任しており、WHOの内部に詳しい。
1.その年の秋から冬にかけてどんなインフルエンザが流行するかを
年初にWHOの専門家が集まり会議で決定。
それにもとづき、ワクチンメーカーが製造する、という。
2.87年変異B型インフルエンザが流行するから日本側はワクチンを作り、
今あるアメリカのものに変えてそれを使うようにと彼が勧告しWHOにファックス。
しかしワクチンメーカー側は拒否。結果、ワクチンが効かず多くの人がなくなったという。
3.それまで、アメリカ、イギリス、オーストラリアにはあったが
93年にWHOアジア太平洋地域インフルエンザセンターができるまで、アジアにはなかった。
4.彼が、日本はアジア各国の中心となって膨大なデータを集めWHOに提供しているのに、
なぜ、このセンターが日本にないのだ、とWHOの担当官に手紙を書いた。
返事は、「WHOも国連の安全保障理事国と同じで第二次大戦の戦勝国で構成している。
よって日本は入れない。」
彼は50年経過しているので日本を入れるべきだと反論したが、返事は同じだったという。
そこで彼はWHOを非難しているということになり、
彼と日本とに対してWHOが冷淡になったという。
5.この喧嘩に負けてなるものかと、対抗策として、
1年間日本が持っているアジアの情報を彼が提供しなかった。
世界のインフルエンザの大半はアジアからだ。
先方が困って大騒ぎになった。つまりワクチン製造会社は大慌て、大打撃。
それが元で翌年WHOの専門家会議に日本に招聘が来て、
93年にWHOのアジアインフルエンザセンターが作られることになった。
彼は、センター長に就任した。
6.93年フランスで専門家500人が集まるインフルエンザの国際会議があり、
ここで米英仏露など12名が最終日に円卓会議。
そこではなぜか「新開発されたインフルエンザ用低温純化型生ワクチン」を
日本は使うべしというのが議題だったという。
しかし日本では生ワクチンは効果の点で問題があり、使わなくなっていた。
彼の理解では、日本を実験台にして、うまく行けば各国で使うという思惑だったろうという。
日本からも大学教授が30名ほど参加しているのに誰もこれに反対しなかった。
そこで彼は「日本は先進国であり君たちの指導を受けてワクチン政策を変える国じゃない。
日本の政策をこの学会で論議すること自体がおかしい。
学者は科学的な議論をすべきであって政策問題を議論するのは科学者の精神に反する。」
と気炎をあげたという。
7.その学会は一週間にわたりこのワクチンの効果について発表するものだった。
彼はまとめ役の米ロの博士に今一度OHPでデータを映して欲しいと頼んだ。
で、よく見ると、実は日本でのワクチンの方が効き目があることが判明し、
学者たちがネロメが正しいと言い出し、
結果として日本がまず外国製薬会社のこのワクチンを使うべしとするという話は流れた、という。
つまり彼は日本人がモルモットとされることを防いだのだ。
8.こんなこともあった。ジュネーブ(ジェノバ=ジェノア)のWHO本部で
来年はどのワクチンを使うべきという決定の際、
11(アメリカのワクチン)対1(日本のワクチン)で立場が割れた。
この1票がネロメのものだった。多数決でアメリカのワクチンに決定。
ところが科学的見地からはこの決定はおかしいとして彼が、
閉会間での30分のコーヒーブレークの際、2日間の討議で使ってきた110カ国からのデータと
日本とアメリカのワクチンのデータを突き合わせてダダーっと電算機ではじき出した
(緊迫の時間が過ぎる)。
結果はアメリカ提案のワクチンでは日本の半分しか効果がないことが判明。
そして討議再開となった。
9.彼はこう発言
「今回は多数決でアメリカのワクチンに決定したが、皆さんに一つだけ質問がある。
ナンシー、君は学者か政治家か?」答えは「もちろん学者です。」
「そうか、いいことを聞いた。君はどうだアラン?」
この調子で11人全員に聞き、全員が学者だと答えたという。
「じゃ学者として、さっきの結論とは別個にデータをもう一回検討しようじゃないか。
まずフランスのデータを見て欲しい。
この数字はアメリカの数字とまったく逆でぜんぜん効果がないでしょ。
ノルウエーも同じ。日本の提案したウイルスの効果は1200、アメリカは600で効果は半分。
君たちは学者としてはどう判断するか。」こう迫ったという。
場内騒然となった。チェアマンがゆっくり歩いて彼の後ろへ回リ首を抱え込んで小さな声で言った。
「クニアキ、ありがとう。われわれは過ちを犯すところだった。」
チェアマン、どんどんとテーブルを2回たたいていった。
「私の判断で採決を取り消します。ドクターネロメが提案した日本の意見に従います。」
判断がひっくり返ったという。
10.日本の学者の多くは、大学を出るとまずアメリカ留学。
2-3年でアメリカのボスから知恵を預かりちょっと輝いて帰国。
また輝きがなくなると元のボスの所へ舞い戻るという繰り返し。
実際はアメリカ側は日本人の研究者をデータ出しの作業に使っているだけだという。
(ちなみに山根は、米国NIH(国立衛星研究所)には常時日本人が200人いるという。)
これはわたしの知る限り事実である。
日本人は器用であるため、実験要員となりデータを集めさせられている。
さて、以上のことで非常に考えさせられた。
① WHOから見ると、最近まで、
ウイルスやワクチンについて日本は発言権という点ではまったく蚊帳の外であり
しかも、屁理屈として敗戦国側であるといわれていたこと
(安全保障理事会ならともかく、健康・厚生問題に戦勝国もなにもないのに)。
② WHOでは、日本人が実験動物として扱われる位置におかれかねないこと。
③ WHOが毎年ワクチンを決めているということ。
その際、どうも米英の製薬会社の圧力・操作が強くきいており、
科学的にではなく政治的に、ワクチン選定がなされていること。
④ 日本人の専門家は彼のような人物以外、
はじめから欧米の製薬会社の軍門に降りており、
科学的な知見に基づいた反論をしていないこと。
山根が「ワクチン決定会議というのはメーカーの思惑がはいる余地はないのか。」と尋ねると、
彼は「そう言うことは私の口からはいえない。しかし私は闘ってきましたよ。」
そういって上のような闘いを紹介している。
これはやはり欧米の製薬会社側の圧力がすさまじいことを示唆している。
そういうことは自分の口からはいえないとまで追い込まれた表現となっている。
それを口にすれば、その先に、研究者としての未来などない、といわんばかりだ。
それにしても彼の孤軍奮闘ぶりを見て欲しい。
こんな勇気のある男、科学者として真理に従うことに実直な男が、
強硬なWHOと多国籍製薬会社を向こうにして、ひとりで大立ち回りをしているではないか。
結果として日本人の命を守っているではないか。
他の日本人(本土の連中だろう)腰抜け腑抜け、科学者として人間としての誠意がないとき、
かれはひとりの人間として、誠実に闘ったじゃないか。
日本の名誉、アジアアフリカの名誉をぎりぎり守ったではないか。
彼の中高時代沖縄はアメリカの市政下にあり、女性がアメリカ兵に手玉にされるのを目にしており、
アメリカと平和時に闘うため、彼らと同じ目線で話をして付き合うため
一流の学者になろうと決意したという。
今一度確認したい。
WHO(国連)は欧米製薬会社に事実上乗っ取られている。
ワクチン決定会議に集まる学者はほぼすべて彼らの手駒として働いている。
指摘されたように白人が、有色人種をワクチンの実験対象として位置づけている。
そしてアジアアフリカ諸国をワクチンビジネスの金城湯池としている。
また有色人種側には、反論するための科学的判断力はないものとなめてかかっている
(ところがどっこい日本には彼のような立派な学者がいたわけだが)。
日本が欧米の多国籍企業・パワーエリート)に手玉に取られないためには、
また殺されないために気概を以って独立的精神を持つ必要があるということだ。
そして感情論を排し冷静に理論・論理で対抗すべきだ。
アングロサクソンには相手が反論できないまで論理で追い詰めることが得策であることを
ネロメの闘いは示している。
ロジックをしっかり組み立てれば、彼らを押し返すことができるはずだ。
日本を危機に陥れるのは、
米英パワーエリートに正面から異議を申し立てないこと、つまり唯々諾々と従うこと。
そして、異議申し立てを感情レベルで行うこと。
これが、日本のセキュリティーを最も脅かすことになるのだ。
小泉は米英パワーエリートの言いなりであり、反論は常に感情的でありロジックがない。
つまり、このような人物こそが、日本の安全保障・国運を根底から脅かしている、
その意味で日本にとって最大の脅威なのである。
日本で反テロ法などはこのような人物を政権に着任させなければ まったく無用である。
また日本を守れるのは、日本のパワーエリートやメインストリームの出身者では決してない。
虐げられてきた周縁部出身の人間こそがむしろ最適格者である。
根路銘のような人物は日本の至宝であり守護神だといえる。
真理は少数者の側にあり。
(ちなみにわたしは沖縄出身ではない)
*彼は今「癌、成人病,ウイルス病」という三大疾病に効果ある物質を
亜熱帯地域の生物資源から探し人類の救済に向けようとしているとのこと。

▲ 1998年、ジュネーブのWHO本部での会議を終えて
くつろぐ専門家たち(左から2人目が根路銘氏)
◆ No.2
〖 WHOと一人で戦った根路銘国昭氏 〗
1993年、日本にアジア太平洋地域インフルエンザ・センターが作られた。
それまでアメリカ、イギリス、オーストラリアにしかなかったセンターが
日本に設置されることになったのは、なぜか。
インフルエンザ・ワクチンは、毎年、WHOの専門家会議で、
データをもとに今年流行しそうなインフルエンザを決定し、
それに基づいて製薬メーカーがワクチンを作っている。
それまで日本はその元になるアジア各国の膨大なデータを収集し
WHOに送付する仕事だけをやっていた。
担当していた根路銘国昭氏は、これだけの仕事をやってるのに、
日本にインフルエンザ・センターがないのはおかしいとWHOに手紙を書いた。
それに対する返事は
「WHOも国連の安保理と同じで第二次大戦の戦勝国で構成している。
よって日本は入れない。」
というものだった。
彼はさらに抗議の手紙を送ったが返事は同じ。
それどころか、WHOに批判的人物として、彼と日本に対し冷淡になったという。
ここで普通の日本人ならどうするだろうか。
なんとか謝罪して、今までどおりの扱いにしてもらおうと努力するか、
そもそも抗議など最初からしないかもしれない。
だが根路銘氏は違った。
なんと、日本が集めていたアジアのデータを1年間、WHOに送るのをやめたのだ。
インフルエンザの大半はアジアから発生するから、そのデータがないとワクチンが作れない。
WHOは大騒ぎになったという。
そして翌年、根路銘氏にWHO専門家会議への招待状が来た。
その会議で、日本にアジア太平洋地域のインフルエンザ・センターを作ることが決定され、
彼が初代センター長に就任することになった。
こうしてインフルエンザセンター長になった根路銘氏だが、
WHOはアメリカの製薬メーカーの意向を受けた学者が力を持つ世界だった。
1993年フランスで開かれた国際会議で、アメリカが新開発した生ワクチンを、
まず日本で使うべしという議題があがった。
日本は生ワクチンの効果には疑問をもっていて既に使わなくなっていた。
根路銘氏は、
「日本を実験台にして、うまくいけば各国で使うつもりだろう」
と感じたという。
その会議には日本の学者も数十人参加していたが誰も反対しなかった。
根路銘氏ひとりが、
「日本は先進国であり、ワクチン政策に君たちの指導を必要とする国ではない」
と反論した。
そこでアメリカの学者に、君たちのデータをOHPで映してほしいと頼んだ。
そして日本のデータと比較すると、日本のワクチンの方が明らかに効果があるとわかり、
他の学者からも
「ネロメの方が正しい」
と意見があがった。
こうしてこの議題は流れ、日本人がモルモットにされるのを防いだ。
根路銘氏はこうも言っている。
「この会議の後、対立したアメリカの学者とすごく仲良くなった。
日本人同士だとこうはいかない」
またジュネーブのWHO本部で12人の専門家によるワクチン決定の投票において、
アメリカのワクチン11票、日本のワクチン1票でアメリカ製に決まった。
もちろん1票は根路銘氏のものだ。
根路銘氏は科学的に見てこの結果はおかしいと閉会30分のコーヒーブレイクのときに、
2日間の討議で使った110カ国のデータをつき合わせてコンピュータにかけた。
するとアメリカ製は日本の半分しか効果がないと出た。
彼はこの結果を見せて、居並ぶ学者たちに
「君たちは政治家か、科学者か。科学者ならこのデータをどう見る」
と問いかけた。
すると議長がテーブルを2回たたいて
「私の判断で採決を取り消します。ドクターネロメが提案した日本の意見に従います」
と結果をひっくり返した。
「まるで映画のようだった」
と根路銘氏は言う。
根路銘氏はこうも言っている。
「この会議の後、対立したアメリカの学者とすごく仲良くなった。
日本人同士だとこうはいかない」


◆ No.3( YouTube 動画 )
〖 日本を実験台から救った 根路銘国昭(ねろめくにあき) WHOと戦う男 〗
以上
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