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【 李世乭 九段 vs アルファ碁 雑感 】

閲覧数:
2016.07.21(16:38) 8


【 李世乭 九段 vs アルファ碁 雑感 】

囲碁ファンの方は、よくご存知かと思われるが
2016年3月9日~15日、韓国ソウルにて
李世乭 九段 vs アルファ碁の全5戦が行われ
李世乭 九段(以降 李九段)の1勝4敗という結果に終った。

大方の下馬評では、李九段の圧勝と考えられていたし、
実際、私もそのように予測していた。

囲碁という競技は、
1.その盤面の広さゆえの多様性
2.将棋の様に「王将」を詰ます(取得する)が如き
  明確なターゲットは無く、
  最後に「地」の大小を争うという不明確さ、
3.そして大局観

など、どれもコンピュータの最も不得意な分野である
「曖昧さ」の多いゲームなのである。

故に、コンピュータが人間のプロの棋士と
対等に勝負できるようになるには
後、10年は掛かるだろうと考えられていた。

しかも「李九段」は「囲碁界の魔王」の異名を持つ
世界最強レベルのプロ棋士である。

「李九段」の圧勝を予測しても
決して不思議ではなかった。
しかし、結果はご存知の通りであった。

この出来事で、私は
二つのことを感じ、そして考えた。

《 Ⅰ 》
私は、趣味として「囲碁」、
仕事の一端としてソフト開発・・・と、
両方の分野について、微小ながら
知識を持っている。

そして、何よりも驚いたのは
皆と同じく「アルファ碁」の圧勝であった。

即ち、コンピュータの「AI」分野の
進歩の速さであった。

私自身この分野は全くの素人であるが
グーグル傘下のディープマインドの開発した「AI」には

・ディープラーニング( Deep Learning : 深層学習 )や
・リインフォースメントラーニング( Reinforcement Learning : 強化学習 )

といったテクノロジーが組み込まれている
とのことである。
これらの技術の進歩に驚かされた次第なのである。

このまま「AI」が進化すれば

『知性をもつコンピューターが
本当に人類の絶滅を早める可能性がある』

と、オックスフォード大学哲学教授の
ボストロムは、その著書
『Superintelligence: Paths, Dangers, Strategies』で
述べている。

何年か後には、優秀なAIロボットが上司であり
それに仕える愚かな人間と言う構図が
実現するかもしれないし、

最悪、映画「マトリックス」のように
AI(ロボット) に支配される世界が来るやも知れぬ。

自然界において、天敵の居ない人間は
自ら作り出した「機械」によって
滅ぼされるかもしれぬのである。

余談だが、私は
「人類はウィルスによって滅ぼされる」か、
自らが造った「核兵器」によって
自滅するのではないかと考えている。


《 Ⅱ 》
もう一つ、私が感銘を受けたのは
「李九段」の「姿勢」であった。

第二戦の当日、彼は妻子をカナダから
対局会場に呼び寄せた。
きっと、その晩は「勝利の美酒」に浸り
妻子と楽しく過ごす心算だったと推察できる。

しかし、敗れたことにより、彼はその計画を放棄し
ホテルの部屋に妻子を置いて
自分は、その隣室で、同僚のプロ棋士達と明け方まで
検討していたとのことだった。

私はそこに「李九段」のプライドと
執念と言うべきものを垣間見た気がした。

これこそ「プロのプライド」であろう。
思うに、それは何も「囲碁棋士」の世界だけの
話ではあるまい。

お金を貰っている以上「サラリーマン」や
「アルバイト」もプロなのである。
そして「プライド」とは、他人にひけらかしたり
吹聴するものではなく、彼の様に
「密かに爪を研ぐ」ことによって裏付けされた「自信」
なのである。

--------------------------------

少し角度を変えた話となるが、それは
「同僚のプロ棋士達と明け方まで検討していた」
ことに付随する教育に関するテーマである。

その対局時点まで「アルファ碁」と対戦した
プロ棋士はいなかった。
即ち、全ての棋士にとって、「アルファ碁」との対戦は
「未知の領域」だったのである。

従って、その同僚のプロ棋士達も「李九段」と
「一緒に考え検討する」ことは出来ても
「アドバイス」することは出来なかったのである。

これが何を意味するかと言えば
「親は未知の領域の事象を、その子に
教えることは出来ない」ことを意味しているのである。

アラナイティ(90歳前後)の、
インターネットを知らないお年寄りは、その子に
インターネットでの振舞いや、
インターネットの危険性を
教え諭すことが出来ないのは明白であろう。

しかし、「教え諭されなかった」その子が
インターネットに疎い「ネット音痴」になるとは
限らないのであるが・・・

以降は 又、別の機会に述べたいと思う。

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【 普遍性と誤差の話 】

閲覧数:
2016.07.20(19:35) 7


【 普遍性と誤差の話 】

ここでは、オラッち達のグループで用いられている
事実』の定義
・─
・─・─
DEF1:事実普遍性を有し、万人が認める事象を言う。
・─
・─・─

この『普遍性』という語句について考察する。

さて、K氏の示したURL
http://haihundash.jp.net/2040.html
での「15cm定規」の話や、
オラッちのいう「車の速度」の話において
誤差を考慮に入れた時

・「15cm定規」
正確にピッタリ15cmか、というと
熱膨張や空気密度などにより
「日本国メートル原器(※)」と比較して
誤差があるのは間違いのないトコロである。

※現在は、メートルの定義は
光の到達距離で定められている。
長さの小方向への単位接頭語(代表的なもの)として
ミリ milli(m) 10-(3) = 0.001(1000千分の1)
マイクロ micro(µ) 10-(6) = 0.000001(100万分の1)
ナノ nano(n) 10-(9) = 0.000000001(10億分の1)
ピコ pico(p) 10-(12) = 0.000000000001(1兆分の1)
という単位接頭語がある。
-(n) は、マイナスn乗を表す。


該当の15cm定規が、1ピコ・メートルの誤差も無いのか
というと、必ず誤差は存在する。
オラッちの言う車のスピードにしても然り。


従って、「この定規は15cm」という『事実』は
厳密には崩壊する。

ということは、「15cm定規」という『事実』は
概念上の存在となる。

故に『客観的事実』も、厳密には
概念上の事実に対する発言となるのである。

全ての人は、
A君の発言「この定規の長さは15cmである」について
共通の概念を有しているからこそ
誤差を認識しつつも
その発言を『客観的事実』として容認している訳である。

これが『普遍性』という属性なのである。


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